
オーダーメイドの結婚指輪工房「ith(イズ)」(東京都渋谷区広尾、代表:宮﨑晋之介)は、11月に、シンガポール・TanjongPagarでのアトリエオープンから3周年を迎えた。
この3年間で提供したオーダーメイドリングは数千点にのぼる。日本の職人が一点ずつ仕立てるリングと、「一人一人の物語を宿すオーダーメイド」という世界観は、多民族国家シンガポールで確かな支持を獲得している。
東南アジアのビジネスハブでもあり、比較的高水準の所得層を持つシンガポールのブライダルジュエリー市場には、日系ブランド、欧米系ブランド、中華系ブランド、そして地元のローカルブランドが参入し、多様な文化と価値観が交錯する高い競争市場となっている。
そのような市場環境のなかで日系のブランドもいくつか事業展開しているが、すでにあるデザインのなかから好みを選んでもらうのでなく、顧客一組一組との対話を通じてそれぞれの嗜好やニーズを掘り下げデザインを決め、それを日本の職人が一点一点、手作業で仕立てるithの指輪作りのアプローチは、他にない顧客体験を提供する独自のポジションを構築している。機械的な均一さではなく、“ゆらぎ”を美と捉える日本独自の美意識が、ミニマルデザインを好むシンガポールのカップルにも響いて、そこに日本のクラフツマンシップが支持される理由が隠れているようだ。
8月に開催したブライダルイベントでは、日本の職人を招いたライブ実演を実施した。静かな手の動きに宿る精緻さと誠実さに、来場者は足を止め、3日間で数百組が訪れる人気コンテンツとなった。2026年1月に実施予定の同フェアでも、さらなる体験型コンテンツを企画中だ。さらにTanjongPagarアトリエでの体験型ワークショップも予定しており、「ジャパンクラフトのリアル」を体感できる場を広げていくとしている。
近年、シンガポールの人口は増加を続け、2024年時点で600万人を超えるなど過去最高を更新。一方で、少子高齢化の進行により国民の年齢中央値が上昇するなど、人口構造には大きな変化が見られる。婚姻件数も2022年をピークに再び減少傾向にあり、結婚を取り巻く環境はかつてと比べて大きく様変わりしている。
前述のとおり世界中の様々なジュエリーブランドが集まる環境において、消費者はブランドごとの世界観や価値基準を丁寧に比較し、自分たちに合う選択肢を探す姿勢がより強まっている。さらに、婚約から挙式までの準備期間が日本より長い傾向にあるシンガポールでは、カップルが複数のブランドをじっくり比較検討しながら、「自分たちらしさ」や「品質への確信」を重視して意思決定を行う文化が根付いている。
また、人口構造の変化や価値観の個別化が進むなかで、ithでは「デザイン性」や「カスタマイズ性」へのニーズが高まりつつあると捉えている。大量生産品ではなく、“自分たちだけの意味を持つ指輪を選びたい”という声も、現地の顧客との対話を通じて徐々に強く感じられるようになってきた。
東京とシンガポールの両国にアトリエを持つithは、国境をまたぐカップルの相談も数多く受けている。日本とシンガポールという複数拠点にアトリエを構えていることで、遠距離恋愛の顧客の間を取り持つという手伝いや、旅先でのサプライズプロポーズのサポートも可能となった。
オープン当初から現在に至るまで課題も少なくなかった。日本とシンガポールでは、結婚に対する価値観や文化、さらにはプロポーズや挙式のスタイルに至るまで大きな違いがある。また、来店予約のタイミングや決定までのスピード感、オンラインでのやり取りの習慣なども日本とは異なり、単に言語を置き換えるだけでは伝わらない難しさがあった。そのためithでは、現地の文化や行動特性に合わせた接客スタイルの見直しや、言葉のニュアンスまで調整した接客フローのローカライズを進めた。
集客・広告においても、日本国内で効果的だった手法をそのまま持ち込むのではなく、「どの媒体で、どんなメッセージが響くのか」を一から見直す必要があった。SNS上の反応を確認しながら投稿内容の方向性を調整し、その結果を広告運用にも反映。さらに、広告を通じて来店した顧客の実際の成約データを蓄積し、そのデータを再びSNSの企画や発信内容に活かすことで、オーガニック投稿・広告運用・顧客データの3つが循環する改善プロセスを構築してきた。
こうした地道なサイクルを重ねることで、「現地の方々が本当に求めていること」が少しずつ見えてきて、今の“シンガポールらしいith”のあり方をようやく形にすることができた。
この3年間は、まさに試行錯誤と学びの連続。“日本のクラフツマンシップを含むithのカルチャーを海外にどう伝えるか”という問いに向き合い続けた時間でもあった。ith Singaporeは立ち上げからここまでの足取りを踏まえ、ブランドの核とも言える「体験価値×ジャパンクラフト×カスタマイズ」をさらに深く、広く届けていくフェーズへと入っていく。そのために以下のような取り組みを進める。
①ith独自の顧客体験のさらなる向上
これまで同様に、ithが提供してきた顧客体験をさらに磨いていく。結婚指輪/婚約指輪自体のオーダーメイド力を高めると同時に、事例にも挙げた日本とシンガポールをまたぐようなプロポーズ応援などをサービスとして強化するなど指輪づくりにとらわれない体験価値創造を通じて、「意味をつくる」というithの価値を高めていく。
②ジャパンクラフトの振興
大変好評だったSingaporeBridesWeddingFairでの職人によるプレゼンテーションをさらに拡張し、2026年は顧客自身が体験できるような手作りサービスなども加えながら、日本のものづくり自体をさらに楽しみ、理解できるような取り組みを推進していく。
③ASEANマーケットへの視野拡張
さらに数年度を見据えた取り組みとして、多民族国家シンガポールで得たインサイトと運営ノウハウを、ASEAN各国へのブランド展開の基盤として活かしていく。
またアーツアンドクラフツでは、今回紹介した自社ブランド事業の他に他社向けのコンサルティング&ソリューションも手掛けており、同業他社や他業界の事業者からもシンガポールやASEAN地域への進出・事業展開の相談依頼を受けている。
シンガポールアトリエは、顧客接点(CustomerHub)、ジャパンクラフトの発信(CraftHub)、今後の国境をまたぐ事業拠点(BussinessHub)として、日本とアジアをつなぐ重要拠点として事業推進を図っていく。
本記事は「The Watch & Jewelry Today」2025年12月15日号本誌に掲載されたものです。



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