
「企業価値」と天然ダイヤモンド市場の転換点
英資源大手アングロ・アメリカンが、傘下のダイヤモンド大手デビアスについて、約10億ドルでの売却を検討していると海外メディアが報じた。
売却先として報じられているのは、デビアスの元最高経営責任者(CEO)であるガレス・ペニー氏が率いる「グローバル・ダイヤモンド・コンソーシアム」だ。報道によれば、買収案は約7億5,000万ドルの前払いと、一定の条件に基づく後払いによって構成される可能性がある。
ただし現時点でアングロ・アメリカンは、売却価格や最終的な買い手を正式には発表していない。約10億ドルという金額も確定した取引価格ではなく、交渉中の評価額として報じられているものだ。
それでも、アングロ・アメリカンが2026年上半期にもデビアスの売却手続きを進めていることは公式に確認されている。世界最大級の天然ダイヤモンド企業を巡る取引は、天然ダイヤモンド産業の収益構造と支配関係が大きく変わりつつあることを象徴している。
約10億ドルの評価額
約10億ドルという評価額は、デビアスの歴史的なブランド力や保有資産を考えれば、極めて低い水準に見える。
アングロ・アメリカンは、2011年にオッペンハイマー家が保有していたデビアス株式40%を約51億ドルで取得した。これにより同社の持分は45%から85%へ上昇し、デビアス全体の取引上の企業価値は約128億ドルと評価された計算になる。
一方、アングロ・アメリカンは2026年2月、天然ダイヤモンド市場の悪化を受け、デビアスについて23億ドルの税引前減損を計上した。その結果、デビアスの帳簿上の企業価値は約23億ドルまで引き下げられた。
仮に85%の持分が約10億ドルで売却されるならば、デビアス全体の株式価値は単純計算で約11億8,000万ドルとなる。これは、直近の帳簿価額をさらに大きく下回る水準である。
もっとも、報道されている10億ドルが株式価値だけを指すのか、債務、将来支払い、運転資金、在庫評価などを含む取引総額なのかは明らかではない。したがって、過去の企業価値と単純比較する際には慎重さが必要だ。
それでも、デビアスに対する市場評価が過去十数年間で大幅に低下したという方向性は否定できない。
デビアスの業績は再び赤字に
デビアスが発表した2026年上半期の売上高は16億ドルで、前年同期の20億ドルから減少した。ラフダイヤモンド売上高は17億ドルから13億ドルへ縮小している。
一方、ラフダイヤモンドの販売数量は前年同期比13%増の1,240万カラットとなった。販売数量が増えたにもかかわらず売上高が減少した主因は、販売価格の低下だ。
平均実現価格は1カラット当たり105ドルとなり、前年同期から32%下落した。価格指数の低下だけでなく、低価格帯原石の販売比率が高まったことも平均単価を押し下げた。
この結果、デビアスの2026年上半期の基礎的EBITDAは1億1,300万ドルの赤字となった。2025年通期にも5億1,100万ドルの基礎的EBITDA赤字を計上しており、厳しい収益状況が継続している。
アングロ・アメリカン全体では、銅事業などの好調を背景に2026年上半期の基礎的EBITDAが40億ドルへ増加した。その中で赤字を続けるデビアスは、同社が今後集中する銅、鉄鉱石、肥料原料といった中核分野との戦略的な距離が一段と広がっている。
売却は2024年の事業再編からスタート
アングロ・アメリカンがデビアスの分離方針を明らかにしたのは2024年5月だった。
当時、同社はBHPから大型買収提案を受けていた。アングロ・アメリカンはこの提案を拒否する一方、自社の企業価値を高めるため、大規模な事業ポートフォリオ再編を発表した。
再編計画では、銅と高品位鉄鉱石を中心とする、よりシンプルな資源会社への転換が掲げられた。南アフリカのプラチナ事業を分離し、原料炭、ニッケル、デビアスからも撤退する方針である。
したがって、デビアスの売却は直近の業績悪化だけを受けて突然決められたものではない。アングロ・アメリカンの中長期的な事業再編に組み込まれた案件であった。ただし、その後も天然ダイヤモンド市場が回復せず、デビアスの減損と赤字が拡大したことで、売却を急ぐ圧力が強まったと考えられる。
元CEOガレス・ペニー氏のコンソーシアムが有力候補
複数の報道によれば、買収候補として有力視されているグローバル・ダイヤモンド・コンソーシアムは、ガレス・ペニー氏が会長を務める組織だ。
ペニー氏は2006年から2010年までデビアスのマネージングディレクターを務めた人物であり、ダイヤモンド採掘、流通、販売、ブランド戦略に精通している。同氏の関与は、財務投資家による短期的な買収というよりも、業界関係者による事業再建を目指している可能性を示している。
このほか、ダイヤモンド企業ディアコア・グループに関係するニル・リブナット氏や、豪バーガンディ・ダイヤモンド・マインズの元経営者マイケル・オキーフ氏らも買収候補として報じられている。
また、アンゴラやナミビアなど、ダイヤモンド生産国の政府または政府系企業が関心を示しているとの報道もある。
アングロ・アメリカンは2026年7月末の時点で、複数の民間および政府系コンソーシアムが売却プロセスに参加しているとしている。一部報道ではグローバル・ダイヤモンド・コンソーシアムが優先交渉先に選ばれたとされる一方、最終的な契約や買い手は公式には確定していない。
最大の鍵を握るボツワナ政府
デビアスの売却を考える上で、最も重要な存在がボツワナ政府だ。現在、アングロ・アメリカンはデビアス株式の85%を保有し、残る15%をボツワナ政府が保有している。
さらに、デビアスとボツワナ政府は、同国の主要鉱山を運営するデブスワナを50対50で所有している。デブスワナは、世界有数の高収益鉱山であるジュワネング鉱山やオラパ鉱山などを運営する。
2025年2月には、デビアスとボツワナ政府が新たな10年間の原石販売契約と、2054年までの25年間に及ぶ鉱業権延長に正式署名した。デビアスの将来価値は、ボツワナとの関係なしには成立しないと言ってよい。
ボツワナ政府は、アングロ・アメリカンが保有する株式の売却に関して先買権を持つとされる。同政府は、アングロ・アメリカンが選んだ買い手と共同で出資する案、第三者と連携する案、自ら持分を取得する案などを検討している。
このため、アングロ・アメリカンと民間コンソーシアムだけで取引を完結させることは難しい。デビアスの新たな所有構造がどのような形になるかは、ボツワナ政府の判断によって大きく左右される。
ボツワナにとってダイヤモンドは主要な輸出品であり、国家歳入、雇用、外貨収入に直結する。政府が重視するのは売却価格だけではなく、採掘の継続性、国内での選別・研磨、雇用、税収、販売権、経営への関与などである。
天然ダイヤモンド市場の回復が難しい理由
現在の市場低迷には、複数の要因が重なっている。
第一は、中国市場の需要減少だ。中国では不動産市場の低迷や消費者心理の悪化、婚姻件数の減少などを背景に、ダイヤモンドジュエリーの需要が大きく縮小した。
第二は、研磨業者と流通業者が抱える在庫だ。新型コロナウイルス流行後の需要回復期に積み上がった在庫が解消されず、ミッドストリーム企業は新たな原石購入に慎重になっている。
第三は、ラボグロウンダイヤモンドの急速な普及だ。特に米国のブライダル市場では、より大きなサイズを低価格で購入できるラボグロウンダイヤモンドが消費者の選択肢として定着した。
アングロ・アメリカンのダンカン・ワンブラッドCEOも、デビアスを含むダイヤモンド産業がラボグロウンダイヤモンドの影響を過小評価していたとの認識を示している。
もっとも、天然ダイヤモンドの低迷をラボグロウンダイヤモンドだけで説明するのは正確ではない。中国需要の縮小、過剰在庫、価格透明性の向上、消費者の価値観の変化、為替、金利、地政学リスクなどが同時に作用している。
天然とラボグロウンは異なる価値提案を持つ商品であるが、同じジュエリー予算を巡って競合する場面が存在することは否定できない。
生産削減だけでは解決しない構造的課題
デビアスは、需要に合わせて生産量を抑制し、在庫と価格の安定化を図ってきた。2026年についても生産計画を引き下げ、南アフリカのベネチア鉱山で操業を一時停止するなど、追加的なコスト削減策を進めている。
天然ダイヤモンド業界では従来、供給を減らせば在庫が減少し、価格が回復するという循環的な調整が期待されてきた。しかし、現在の問題には構造的な側面がある。
消費者はオンライン上で価格を比較できるようになり、ダイヤモンドの希少性や再販価値に対する認識も変化した。ブライダルジュエリーにおいても、ダイヤモンド以外の宝石、ゴールドジュエリー、ブランド体験、旅行などとの予算競争が強まっている。そのため、生産量を減らすだけでは、天然ダイヤモンドの需要そのものを回復させることはできない。
新たな所有者には、鉱山運営の合理化だけでなく、天然ダイヤモンドを購入する理由を消費者に再提示する能力が求められる。
デビアスが保有する価値
現在の収益状況は厳しいものの、デビアスには依然として他社が容易に再現できない資産がある。
ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、カナダにまたがる採掘権益に加え、原石販売網、サイトホルダー制度、鑑別・トレーサビリティ技術、ジュエリーブランド、世界各国の政府との関係を持つ。
また、「A Diamond Is Forever」に代表される歴史的マーケティングを通じ、ダイヤモンドと婚約・永続性を結び付けてきた企業でもある。
一方で、これらの資産を維持するためには多額の資本が必要となる。鉱山開発、環境対応、地域社会への投資、マーケティング、在庫金融、技術開発を継続しなければならない。
約10億ドルという低い買収価格が事実だとしても、買い手が負担する実質的な経済コストは買収価格だけではない。将来の設備投資、運転資金、在庫、債務、政府との契約上の義務まで含めて考える必要がある。
安く買えることと、安く維持できることはイコールではない。
天然とラボグロウンの戦略を再構築できるか
デビアスは2018年、ラボグロウンダイヤモンド・ジュエリーブランド「Lightbox」を立ち上げた。天然ダイヤモンドとの差別化を目的に、ラボグロウンを希少性のないファッションジュエリーとして位置付け、カラット当たりの定額価格を採用した。
しかし、ラボグロウンの市場価格が急速に下落し、多数のブランドが参入する中で、Lightboxの独自性は薄れた。デビアスは2025年にLightbox事業の終了を発表し、人工ダイヤモンド製造施設については工業・技術用途へ軸足を移している。
今後のデビアスは、天然ダイヤモンドとラボグロウンを対立的に位置付けるだけでは不十分だ。天然ダイヤモンドについては、地質学的な希少性、産地、地域社会への経済的貢献、トレーサビリティ、デザイン、ブランド体験などを統合した説明が必要になる。同時に、ラボグロウンダイヤモンド市場の存在を前提として、両者の価格、価値、用途、供給構造の違いを消費者へ正確に伝えることが求められる。
求められる変化とは
デビアスの所有者が変わったとしても、短期的に日本市場への原石供給に変化が起こる可能性は低いだろう。しかし、中長期的にはいくつかの変化が考えられる。
新たな所有者が在庫削減を優先すれば、特定カテゴリーの原石価格に下押し圧力が生じる可能性がある。反対に、生産を大幅に絞り、販売規律を強化すれば、一部の高品質原石の供給が引き締まる可能性もある。サイトホルダー制度、販売サイクル、契約条件、マーケティング負担のあり方が見直される可能性もある。
また、デビアスが天然ダイヤモンドのブランドマーケティングを縮小すれば、天然ダイヤモンドの需要喚起に必要な費用を、各ブランド、小売企業、業界団体がこれまで以上に負担しなければならない。事業者にとって重要なのは、「デビアスが市場を支えてくれる」という前提から離れることだろう。
天然ダイヤモンド、ラボグロウンダイヤモンド、カラーストーン、地金製品を含め、顧客層ごとに価値提案と価格政策を設計する必要がある。特に天然ダイヤモンドについては、希少性という抽象的な表現だけでなく、産地、品質、流通経路、社会的貢献、デザイン性を具体的に説明することが重要になる。
10億ドルは「ダイヤモンドの価値」ではない
仮にデビアスの85%持分が約10億ドルという安価で売却されたとしても、それが天然ダイヤモンドの価値の低下を意味付けると結論づけるのは早計だ。企業価値は、保有資産だけでなく、収益性、負債、将来投資、在庫、市況、資本コスト、株主構成、政府との契約などによって決まる。現在のデビアスには、巨大な資産とブランドがある一方、それを維持するための費用と事業リスクも存在する。
今回の売却予測金額が示しているのは、天然ダイヤモンドそのものの価値ではない。しかし今回の売却劇が示しているのは、天然ダイヤモンドを供給すれば自動的に需要が生まれ、高い利益が得られる時代が終わったということだ。
デビアス売却は産業再編の始まりとなるか
デビアスの新たな所有者には、三つの課題が突き付けられる。
第一に、採算性を回復させながら主要生産国との長期的な関係を維持すること。
第二に、天然ダイヤモンドの需要を再構築し、若い消費者に対して新たな購入理由を提示すること。
第三に、ラボグロウンダイヤモンドが存在する市場において、天然ダイヤモンドの価値を誇張することなく、明確かつ検証可能な形で説明すること。
デビアスの売却価格が最終的にいくらになるかは、まだ確定していない。グローバル・ダイヤモンド・コンソーシアムが買い手となるのか、ボツワナ政府が持分を拡大するのか、別のコンソーシアムが浮上するのかも流動的だ。
しかし、売却後に問われるのは、新たな所有者が、天然ダイヤモンド産業を従来の供給主導型モデルから、消費者価値を中心とする市場へ転換できるかどうかだ。
約10億ドルという数字は、ダイヤモンド産業の過去の成功モデルが、そのままでは通用しなくなったことを示す極めて重い数字としての意味を持っている。



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