
ラボグロウンダイヤモンド(以下、LGD)市場が成熟期を迎え、その価格は天然ダイヤモンドと比較して圧倒的な優位性を持つに至った。多くの企業が「手の届くダイヤモンド」として価格競争を繰り広げる中、その潮流に真っ向から逆行し、業界に衝撃を与えているブランドが存在する。ドイツのLGDブランド「Mandana」だ。同ブランドがショーピースとして発表したネックレスには、14万3000ユーロ(約2400万円 ※1ユーロ=170円換算)という驚くべき価格が付けられている。
LGDを主役にしたジュエリーが、なぜこれほどの高価格で市場に提示されるのか。それは、同ブランドが素材の価格ではなく、その背景にある揺るぎない哲学と独自の価値を販売しているからだ。
ヨーロッパ市場のLGDへの複雑な視線
Mandanaの挑戦を理解する上で、まずヨーロッパ市場のLGDに対する複雑な心境を把握しておく必要がある。歴史と伝統を重んじる「オールドマネー」が根付くこの地では、LGDに対する評価は未だ一枚岩ではない。若い世代はテクノロジーによって生まれたサステナブルな素材として好意的に受け入れる一方、伝統的な宝飾業界や一部メディアは、排斥的な態度を見せることが少なくない。
ここ最近のその象徴的な出来事が、世界的な鑑定機関であるHRD AntwerpがLGDの裸石に対するグレーディングレポートの発行を停止すると決定したことだ。この動きは、LGDを天然ダイヤモンドとは明確に区別しようとする業界の一部勢力の意向を反映しており、市場に特殊な緊張感をもたらした。
このような逆風とも言える状況下で、Mandanaは臆することなく高価格帯のLGDジュエリーを展開している。最も安価な製品ですら950ユーロ(約16万円)からで、セットされているLGDはわずか0.15カラットだ。これは、彼らが「LGDは安価である」という市場の常識とは全く異なる土俵で勝負していることを明確に示している。彼らの戦術は、LGDという素材を用いて、全く新しいラグジュアリーの物語を語ることだ。
価値の源泉 ― 製造元「Nevermined」社の徹底した哲学
Mandanaの強気の価格設定とブランド哲学の根幹を成すのが、その母体である「Nevermined」社だ。2021年にクリスティーネ・マーホーファー、ミヒャエル・マーホーファー夫妻によって設立されたこの企業は、単なるLGDメーカーではない。その社名(「採掘されたことはない」の意)が示す通り、地球から資源を収奪しないという強い意志を掲げ、サステナビリティ、透明性、倫理性を徹底的に追求する、いわば「思想集団」だ。
Nevermined社がドイツ・エッセンに拠点を置いたことも、そのストーリーテリングにおいて重要な意味を持つ。エッセンが位置するルール地方は、かつて石炭採掘で栄えたドイツ最大の工業地帯であった。資源採掘に依存した産業構造から脱却し、グリーンテクノロジーと文化のハブへと生まれ変わったこの地は、2017年に欧州委員会から「欧州グリーン首都」の称号を授与されている。採掘産業の跡地で「採掘しないダイヤモンド」を育てるという対比は、過去を乗り越え、持続可能な未来を創造するという同社の使命を象徴している。
Nevermined社が掲げる価値は、以下の具体的な取り組みによって裏付けられている。
- 徹底したサステナビリティとトレーサビリティ: ドイツ初にして欧州最大級のLGD工場である同社は、全てのLGDをCVD法によりドイツ国内で生産する。これにより、生産拠点がアジアに集中しがちな他社が抱える、長距離輸送に伴う環境負荷とサプライチェーンの不透明性を完全に排除している。電力は100%認証済みのグリーン電力を利用するだけでなく、将来的には自社発電システムを導入し、その過程で生まれる廃熱を近隣住民の暖房に供給する計画まである。これは、単なる環境配慮を超え、地域社会と共生する企業としての責任を果たそうとする姿勢の表れだ。
- 客観的で厳格な第三者認証: 同社は、世界有数の第三者認証機関であるSCS Global Servicesによる厳格な監査を経て、世界で初めて「SCS-007-1」認証を取得した企業の一つとなった。この認証は、製品のトレーサビリティ、倫理的な生産体制、気候中立性(カーボンニュートラル)、持続可能な生産への取り組みという4つの主要分野で最高水準を満たしていることを証明するものであり、同社の主張が単なる自己申告ではないことを客観的に保証している。
- 最高品質へのこだわりと倫理的な素材調達:生産されるLGDのうち、0.50カラット以上のものには全てIGIまたはGIAの鑑定書が付与され、その品質を担保する。さらに、ジュエリーに使用する金属素材にはリサイクルゴールドのみを採用。これにより、LGDだけでなく、製品を構成する全ての要素において、環境と倫理への配慮を徹底している。
- 透明性の高い企業統治と社会的責任: 従業員はドイツの厳格な労働法の下で保護され、公正な待遇と良好な労働環境が保証されている。内部告発制度を設けるなど、企業統治の透明性確保にも努める。さらに、公益団体「EarthChild e.V.」を支援し、子供たちへの環境教育や生態系農業プロジェクトを推進するなど、事業活動を通じて得た利益を社会へ還元する仕組みも構築している。
ブランドとは「価値の伝達装置」
Nevermined社のこれらの取り組みは、一つ一つが強力なブランドストーリーを構成する。Mandanaのジュエリーは、単に美しい宝飾品であるだけでなく、これら全ての哲学、努力、そして未来へのビジョンが結晶化した「価値の証明書」だ。
顧客がMandanaのジュエリーを手に取るとき、彼らが購入するのはLGDという素材そのものではない。「ドイツ国内のクリーンな環境で、グリーン電力によって育てられ、公正な労働環境の下で働く人々の手によってカットされ、リサイクルゴールドにセットされた、サプライチェーンの全てが透明な、未来志向のラグジュアリー」という、他では決して得られない唯一無二の価値だ。
ここに、「ブランドとは価格競争ではなく独自の価値を作り上げ伝えるもの」という本質的な視点が見出せる。もしMandanaがLGDを単なる「安価な代替品」と位置づけていたならば、彼らのビジネスはその他大勢との価格競争に埋没していただろう。しかし彼らは、LGDを「自社の崇高な理念を体現するための最適な素材」と捉え直した。その結果、LGDは価格という呪縛から解き放たれ、新しい価値を纏うことに成功したのである。
「LGD製品はジュエリーと呼べるのか?」という長年の問いに対し、Mandanaの事例は力強い示唆を与える。ジュエリーの価値を決定するのは、素材の希少性や起源だけではない。その背景にある思想、製造プロセスの倫理性、そしてブランドが社会に対してどのような物語を語り、どのような未来を提示するのか。そうした無形の価値こそが、現代の消費者の心を動かし、製品を「単なるモノ」から「特別なジュエリー」へと昇華させるのだ。
価値創造へのシフト
日本のジュエリー市場では、特に昨今の景気不透明感も影響し価格訴求が多いように見える。しかし、消費者の価値観は確実に変化している。特に若い世代を中心に、製品の背景にあるストーリーや、企業のサステナビリティ、エシカルな姿勢を重視する傾向は年々強まっている。
MandanaとNeverminedの挑戦は、価格競争という消耗戦から抜け出すための重要なヒントを与えてくれる。それは、自社の存在意義を再定義し、それを製品開発からマーケティング、販売に至る全てのプロセスで一貫して体現し、顧客に伝え抜くことだ。
自社が拠点を置く地域の文化や歴史とブランドを結びつけることはできないか。環境負荷を低減するための独自の取り組みを、強力なブランドストーリーとして発信できないか。扱う素材一つ一つに、倫理的で透明性の高い調達背景を保証することはできないか。これらの問いに向き合い、独自の答えを見出すことこそが、模倣不可能なブランド価値を構築する第一歩となる。
Mandanaの2000万円を超えるネックレスは、LGD市場における一つの到達点であると同時に、ジュエリー業界全体が向かうべき未来の形かもしれない。素材の価値を語る時代から、ブランドの価値を語る時代へ。価値観の再構築が、今まさに求められている。
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